学習を進めるリズム。
学習は,正か反か?ではなく,正反合のワルツ△で進む。それには,よりよいものを創りだそう,とか,より本質に近づきたい,という自分が打って出るということを可能にする意図に立っていることが要求されるが。
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学習は,正か反か?ではなく,正反合のワルツ△で進む。それには,よりよいものを創りだそう,とか,より本質に近づきたい,という自分が打って出るということを可能にする意図に立っていることが要求されるが。
「それは私の力によってなされた」といえることなど,何一つ無い。
ということで,土日は,とにかく寝て過ごし…日曜日の午後8時以降から動き始める。
いつぞやの足裏マッサージにて…。
足の指先が冷たいことを,「冷たいですね」「冷たいですね」と,何度も何度も‘指摘’される。
今・ここの,道ばたの石ころからでも学べる。
ポリウレタン素材のジャケットをいたく気に入って購入。実際着て過ごしてみると…自分で体温調節出来ない爬虫類になった気分だ…
。
お疲れさま
!の仕事のあとのおやつ。

そういえば,その昔,『兼高かおる世界の旅』で見た。どこかの国のアワビか何かの加工場。身だけ取り出し肝を捨てていたのを見た兼高かおるは,「ここが美味しいのにね」とか何とか言いながら,その肝を食していたっけ。
熱田神宮。草薙剣(天叢雲剣)が納められているという…。

夜は地元産の食材を使ったフランス料理に舌鼓…。

大概のことは,どうでもいいなぁ…と思えてくる。
100円プラスで黒糖ドーナツ棒。

ゆっくりじっくり汗をかく。

自分も大したことないな…と思える
。
今日は、水煮の小豆で、あたたかいぜんざいにしていただく
。

エドワード・リード,レベッカ・ジョーンズ編『直接知覚論の根拠―ギブソン心理学論集」(p12)より。
ギブソンにとって,実在論は,哲学的信条にとどまらず,科学を追究するために不可欠な方法であった。彼は,次のような考えに立っていた。即ち,“理論の構築というものは,その理論が‘反証可能である’場合に(つまり,理論構築の後に,その理論に対する反証を挙げる実験的研究が可能であり,しかも,その理論を完全に却下できるだけの反証を挙げることができない場合に),最も有用である(Gibson,1950a p.ⅶ)。”ギブソンの全ての研究に表れている通り,彼は,自らの理論を反証可能性を維持したかたちで構築するべく努めていた。そうすることでギブソンは,多くの実験家が仮定のまま放置するのに甘んじてきたことを,仮説として検証の俎上に載せた。
調子の悪いときの自分についてはあれこれ構い分析解釈し,調子のいいときの自分には目が向かない,というときの自分は,自分の思い描いた自分であって,自分という実物ではない。
調子のいいときの自分とは向き合えて,調子の悪いときの自分からは目を背ける,というときの自分は,自分の思い描いた自分であって,自分という実物ではない。
今度の研修の案,どうしても行き詰まるので,いったん考えたことを解きほぐして,編み直してみる。
八百屋にて一袋700gで138円!お風呂に浮かべる
。

今の時代,明治維新というよりも,平安の末法の世に似ている…かも。
エドワード・リード,レベッカ・ジョーンズ編『直接知覚論の根拠―ギブソン心理学論集」(p269)より。
ギブソンは,「行動は,刺激或いは中枢の(認知や動機づけ)状態によって引き起こされた,反応や反応の階層から成る」という,依然として広く指示されている理論(Gallistel,1980;Norman,1980)を退けた。代りにギブソンは,「行動は,姿勢《postures》と運動《movements》の入れ子から成っており,知覚によって制御される」と論じた。
学び・学習という言葉が,バズワードにならないようにしなければ。
原理・原則という基本の探究なしに,さじ加減という応用は見えてこない。
一生懸命熱心にやっているのに物足りなさを感じるのは,授業研を学習という視点で見た時。
ごちそうさま
…次は,あったかいお汁仕立てで作ることにしよう。

『歴史群像』2012年02月号(No.111)「特別企画 従軍イギリス人記者が見た日露戦争の最前線−旅順攻囲戦レポート」(原文=B.W.レノガード,訳=ゲオルギー・ブリレーフスキー)より(pp74-75)。
旅順攻囲戦で明らかになった日本人の国民性の特徴の一つは「自己過信」,すなわち日本人は自分の力と攻撃手段を過信していたことだ。結局,多くの場合において,攻撃の準備が不十分だったのだ。対壕は一つも必要な長さにまで伸びておらず,ロシア軍堡塁から見通しのきく場所から攻撃しなければならなかった。それは日本軍の大損失の主な理由だった。
もう一つの特徴として,日本人は地下作戦が嫌いだ。日本兵にとって塹壕掘りは退屈なのか熱心さが足りず,むしろ一番恐ろしいはずの歩兵突撃のほうがよかったらしい。攻撃のとき兵士はとても意気込むが,逆に塹壕の作業となるとすぐにイライラした。将校も概ね同じように感じていたらしい。
自分の焦点を拡げたり絞ったりしながら,思考を練る。
今年探究するコンセプトは「喜心」…で,当面のキーワード(糸口)は,「諦める(仕方ないね〜)」としよう。
「冀其参学高流久習模象勿怪真龍」−道元禅師『普勧坐禅儀』
ねがわくは参学の人びとよ。世のなかでは部分的現実の姿に目を奪われて,全体の真実を見失ってしまっていることが多いのだが,そういうことであってはならない。また人情として自分のオモワク(思枠)にかなうとニセモノでもよろこび,自分のオモワクにかなわぬとホンモノでも怖気をふるうが,そういうことであってもならない。−内山興正著『坐禅の意味と実際―生命の実物を生きる』
携帯電話を水洗トイレに流し切る。
取りためていたデータや記念の写真にメモもろもろ,
気に入っていたamadanaケータイN706iⅡごと,
下水管の彼方へ。
「トイレに流された携帯はどうなるんでしょうね?」
ドコモの定員さんいわく,
「下水管にガタガタあたって,バラバラになって流されますね〜」
年始早々,これまでの自分を水に流してみたと思えば,なんだかすっきりした気分にも。
小学校低学年の子どもにマインドマップで作文指導しつつ,自分も低学年作文指導のためのコーチングを試してみる…実に勉強になった〜
。
子供用達磨さん風クロークを作る…3時間近くかけてちくちく返し縫い。

喜心。
纜(ともづな)は解かれた。
というわけで,その証に,ブログ2つをリニューアルする。
ぼちぼち本編のwebも…。
※リニューアルにつき,コメント欄は,どのブログもクローズしました...m(..)m