伊那小学校公開研究会(2012)参会(2)。
※開会式で,ある医師がマザー・テレサの“死を待つ人の家”を訪ねて言った言葉ー「ここには見るべき医療はないが,真の看護がある」を引いて,伊那小のめざすところを語られたのが,大変印象に残っている。
※◯×をつけるような,適応的なシングル・ループ学習の視座で伊那小の実践をみたとき,きっと「見るべき医療はなかった」と結論づけてしまうだろう。
※学びとは,迷悟一如だ。
「適応的なシングル・ループ学習の視座」で伊那小学校の実践をみると,表層の教師の技術や表層の子どもたちの言い方・やり方にしか目がいかないだろう。それはもったいない見方だ。教室に一歩入って驚かされたのは,能動的学習者として場に開いている子どもたちと教師がそこに居たこと。これは,観念や理屈としてではない。教室を覗いた途端,子どもたちの内で起こっている「動き(胎動)」がダイレクトに伝わってきて,授業の中身云々以前こちらまでドキドキ,ワクワクしてきたくらいだ。そういう土壌の「耕し」(“learning to be”)にこそ,私たちが学ぶべきことではないか。