« 利便性優先。 | トップページ | 抜書き:デューイ『民主主義と教育』〜第1章1(2) »

2021年4月28日 (水)

抜書き:デューイ『民主主義と教育』〜第1章1(1)

J.デューイ著、松野安男訳『民主主義と教育(上)』岩波書店、1975年。

 

第1章 生命(ライフ)に必要なものとしての教育

(11-12頁)

1、伝達による生命(ライフ)の更新

生物と無生物との間の最も著しい差異は、生物が更新によって自己を維持するということである。石を打てば、石は抵抗する。もし石の抵抗力がそれに加えられた打撃の強さよりも大きいならば、石は外面的にはもとのままである。さもなければ、石は打ち砕かれて、小さな破片となる。石は決して、打撃に対抗して自己を維持するというような仕方で反応しようとはしない。まして打撃を自己の行動の持続に役立つ要因とするように反応しようとはしない。ところで、生物は圧倒的な力によってたやすく押しつぶされるかもしれないが、それでも生物は自己に作用するエネルギーを自己の存続のための手段へと変えようとする。それができなければ、生物は(少なくとも高等な生物においては)こわれて小さな破片になるだけでなく、もはやある特定の生物ではなくなってしまうのである。

生物は、生存しているかぎり、自己自身のために周囲のエネルギーを利用しようと努める。生物は、光や空気や水分や地中の物質を利用する。生物がそれらのものを利用するということは、生物がそれらを自己保存の手段へと変えるということなのである。生物が成長をつづけている限り、このような環境を利用することによってそれが獲得するものは、そのときそれが消費するエネルギーを償って余りがある。つまり成長するのである。「制御(コントロール)する」という語をこのような意味に解するならば、次のように言うことができるだろう。すなわち、生物とは、自己を圧殺してしまうことになりかねないエネルギーを、かえって自己自身の活動の持続のために、征服し、制御するものなのである、と。生活(ライフ)とは、環境への働きかけを通して、自己を更新すて行く過程なのである。

すべての高等な生き物は、この過程を再現なく続けていくことはできない。それらはやがて倒れ、死ぬ。生物は際限なく自己更新をして行く力をもってはいないのである。しかし生命過程の連続は、ある一個の個体の生存を延長することによるのではない。別個の生命体を産み出す生殖作用が連続して次から次へと続いて行くのである。また、地質学上の記録がものがたるように、個体ばかりでなく、種もまた死滅するけれど、生命過程はますます複雑な形態へと発達しながら連続する。ある種が死滅していくと、それらが克服しようとしてもできなかった障害であったもをかえって利用するのにも適した生物が発生する。生命の連続とは、生物体に必要な環境を絶えず再適合させて行く過程を意味するのである。

« 利便性優先。 | トップページ | 抜書き:デューイ『民主主義と教育』〜第1章1(2) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 利便性優先。 | トップページ | 抜書き:デューイ『民主主義と教育』〜第1章1(2) »