抜書き:デューイ『民主主義と教育』〜第2章1(1)
J.デューイ著、松野安男訳『民主主義と教育(上)』岩波書店、1975年。
第2章 社会の機能としての教育
(25-26頁)
1、環境の本質と意味
われわれがこれまでに明らかにしてきたのは、今日共同社会(コミュニティ)すなわち社会集団が、絶え間ない自己更新を通して自己を維持するということ、そして、この自己更新は、その集団の未成熟な成員が教育を通して成長することによって、行なわれるということであった。無意図的あるいは計画的なさまざまな作用によって、社会は、まだその仲間入りをさせられていない、外見的にはよそ者のようにみえる人間を、その社会自身の資産や理想の健全な担い手につくり変えるのである。それゆえ、教育は、はぐくみfostering、やしないnurturing、つちかいcultivatingの過程である。これらの語はみな、教育が成長の諸条件に対する配慮という意味を含むことを示している。また、われわれは、養成するrearing、育成するraising、育て上げるbringing upなどとも言う−−これらの語は、教育が引き上げることを目指している水準の高さを表わす。語源的には、教育educationという語は、まさしく、導き、あるいは育て上げるleading or bringing up過程を意味するのである。われわれは、この過程の結果のことを考えているときには、活動を躾けshaping、形成しforming、陶冶するmoldingこと−−すなわち社会的活動の標準的形式へと仕付けること−−として、教育について語るのである。そこで、本章では、社会集団がその未成熟な成員をそれ独自の社会的形式へと育て上げて行く方式の一般的な特徴について考察することにしよう。
必要とされているのは、その集団社会に広く行きわたっている関心や目的や観念を共有するに至るまで、経験の質を変えて行くことなのだから、問題は、明らかに、単なる物理的形成の問題ではない。物は空間の中を物理的に運ぶことができる。すなわち、そっくりそのまま運搬できるだろう。けれども、信念や願望は、物理的に引き出したり、はめ込んだりすることはできない。では、それらはどのようにして伝えられるのだろうか。直接的な伝播とか文字通りの注入が不可能だとすれば、問題は、幼い者たちが年をとった者たちの見方を同化したり、年長の者たちが幼い者たちを自分たちと同じ心をもつものにして行く方法を見出すことである。
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