抜書き:デューイ『民主主義と教育』〜第2章2(1)
J.デューイ著、松野安男訳『民主主義と教育(上)』岩波書店、1975年。
第2章 社会の機能としての教育
2、社会的環境
(27-30頁)
他者と共同して活動している生物は社会的環境をもっている。彼が何を行なうか、そして何を行なうことができるかは、他者の期待や要求や賛成や非難によって決まる。他者と関連づけられているものは、他者の活動を勘定に入れることなしに、自分自身の活動を遂行することはできない。というのは、それら他者の活動は、彼自身の行動傾向を実現するために不可欠の条件だからである。彼が動くとき彼は他者を動かし、そして彼もまた他者に動かされるのである。ある個人の活動をその人だけの孤立した行動によって説明することができると考えるのは、全く自分ひとりで、買ったり売ったりしながら商売している実業家を創造してみるようなものである。そしてまた、工場主が自分自身の会計室で密かに計画を立てているときにも、原料を購入したり製品を販売したりしているときと同じように、彼の活動は確かに社会的に導かれているのである。他者と共同して行われる行動に関係のある思考や感情は、極めて明白な協力的ないし敵対的な行為と同じくらい、社会的な行動様式なのである。
特にはっきりと指摘しておかなければならないことは、いかにして社会的生活環境がその未成熟な成員を養育するかということである。社会的生活環境がいかにして外面的な行動の習慣を形作るかということを知るには大した困難はない。犬や馬でさえ、その行動は、人間との共同生活によって改変される。犬や馬がいろいろな習慣を形成するのは、それらが行なうことに人間が関心をもっているからである。人間は、動物に影響を与える自然の刺激を統制することによって、言い換えれば、一定の環境を創り出すことによって、動物を制御する。餌、轡と手綱、音、車が、馬の自然な、つまり本能的な反応の生じ方を方向づけるために利用される。一定の動作を呼び起こすように間断なく働きかけることによって、本能的興奮と同様の画一性をもって機能する習慣が形成される。ねずみを迷路の中に入れて、一定の順序で一定の回数を曲ったときにだけ、餌にありつけるようにしておけば、そのねずみの活動は次第に改変されて、空腹のときにはいつも、他の経路よりむしろその経路をとるまでになる。
人間の行動も同じようなやり方で改変される。火傷をした子どもは火を恐れる。もしも親が、子どもがある玩具に触るといつも火傷をするように条件を整えておくならば、彼は火に触るのを避けるのと同じように自動的にその玩具をさけることを学習するだろう。しかしながら、これまでのところ、われわれは、教育的な教授とは区別して訓練と呼びうるものについて考察しているにすぎない。いま考察している変化は、行動の知的および情緒的な性向の変化というより、むしろ外面的行動の変化なのである。といっても、その区別は鮮明なものではない。ことによると、どの子どもはやがてその特定の玩具に対してだけでなく、それに似た玩具全体に対して激しい反感をもつようになるかもしれない。その嫌悪は、最初の火傷のことを忘れてしまった後でもなお持続するかもしれない。さらに後になって、彼は、どうも理屈のに合わないように思われる自分のその反感を説明するために何か理屈を考え出したりするかもしれない。環境を変えて行動への刺激に変化を与えることによって、外面的な行動の習慣が改変され、そのことが、ある場合には、さらにその行動に関係する心的傾向をも改変することになるだろう。けれども、こういうことは、つねに起こるとは限らない。たとえば、おそいかかってくる打撃から身をかわすように訓練された人は、対応する思考とか情動とかを少しも伴わずに、自動的にひらりと身をかわすのである。そこで、訓練を教育から区別する差異を何か見出さなければならないことになるのである。
手がかりは次の事実の中に見出されるだろう。すなわち、馬は自分の行動が社会的に利用される過程に本当に参加しているのではない、ということである。他の何者かが、自分に有利な結果を獲得するために、その行動の遂行がその馬にとって有利になるようにすること−−餌を得ることなど−−によって、馬を利用するのである。しかし、馬は、多分、何か新たな興味をもつことにはならないだろう。馬は以前として餌に興味をもったままであって、自分が行なっている奉仕には興味をもたない。彼は共同の活動の仲間ではないのである。もしも彼が共同者となるのだとすれば、彼は、その連帯の活動に従事しているときに、その活動の完成について、他の者たちと同様の興味をもっているはずである。彼は、他の者たちがもっている観念や情緒を共有するはずなのである。
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