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2021年6月 9日 (水)

抜書き:デューイ『民主主義と教育』〜第2章4(1)

J.デューイ著、松野安男訳『民主主義と教育(上)』岩波書店、1975年。

 

第2章 社会の機能としての教育

4、特殊な環境としての学校

(39-41頁)

人々の意志に関わりなく否応なしに進行する教育的過程についてこれまでに論述してきたことの第一の重要な点は、われわれがそれによって次のことに気づくようになることである。すなわち、成人たちが未成熟者の受ける教育の種類を意識的に統制する唯一の方法は、未成熟者がその中で行動し、それゆえ、そこで考えたり、感じたりするところの、環境を統制することによるのだ、ということである。われわれは決して直接に教育するのではないのであって、環境によて間接的に教育するのである。偶然的な環境にその仕事をさせておくか、それとも、その目的のために環境を設計するかどうかは、非常に大きな差異を生ずる。そして、いかなる環境も、その教育的効果に関して計画的に統制されていないならば、それは、その教育的影響に関する限り、偶然的な環境にすぎない。知的な家庭で幅を利かせている生活や人との交わりの習慣が、子どもたちの成長にとってどんな関係をもつかを考慮して、選択されているか、少なくとも色づけられている、という点である。とはいえ、学校は、言うまでもなく、やはり、その成員の知的および道徳的性向に影響を与えることを特に考慮して構成された環境の典型的な例であることに変わりはない。

大まかに言えば、社会の伝統が非常に複雑になって、その社会的蓄積の相当の部分が文書に書き留められ、文字記号によって伝達されるようになるとき、学校が出現するのである。文字記号は音声記号よりいっそう人工的ないし形式的である。それは他の人々との偶然的な交わりの中で身につけることのできるものではない。その上、文書形式は、日常の生活には比較的に縁のない事柄を選んで記録する傾向がある。世代から世代へと積み重ねられてきた業績は、たとえその中のいくらかが一時的に使用されなくなったとしても、文書形式で保管されるのである。その結果、ある共同社会が、その地域や、その時代を越えたところに存在するものに、かなりの程度、依存するようになるやいなや、その共同社会は、自己のすべての資産の適切な伝達を確実にするために、学校という確固たる機関にたよらなければならなくなるのである。明白な実例を挙げれば、古代のギリシャ人やローマ人の生活はわれわれ自身の生活に深く影響を及ぼしているのだが、彼らがわれわれに影響を及ぼす方法は、われわれの通常の経験の表面には現われてこない。同様に、現存してはいるが、空間的に遠く離れている民族、イギリス人やドイツ人やイタリヤ人も、われわれ自身の社会の事柄に直接関わりをもっているのだが、その相互作用の本質は、はっきりと述べられ、注目されるのでなければ、理解することができないのである。そしてまた全く同様に、遠く離れた物理的エネルギーや目に見えない構造が、われわれの活動の中で果たす役割を、子どもたちに説明してやることも、われわれの日々の共同生活に期待することはできないのである。それゆえにこそ、そのような問題について配慮して、社会的な交わりの特別な様式、つまり学校が設立されるのである。

この共同生活の様式は、通常の共同生活に較べて、特記するに足るほど特殊な三つの機能をもっている。第一に、複雑な文明は、あまりにも複雑すぎて、丸ごと同化することはできない。それは、いわば、部分に解体されて、漸進的な段階的なやり方で、少しずつ同化されなければならないのである。現在の社会生活の諸関係は、あまりにも多岐にわたっており、しかも互いに錯綜しているので、最もめぐまれた境遇におかれている子どもでも、それらの関係の中の数多くの最も重要なものに容易に参加することができないほどである。だが、それらの関係に参加しなければ、それらの意味は、彼に伝えられないだろうし、彼の精神的性向の一部となることもないだろう。森を見て、木を見ないことになるわけである。職業的活動も政治も芸術も科学も宗教も、すべてが一度にわめきたてて注意を引こうとして、結局は混乱が残るだけだろう。学校は、まず、かなり基本的で、しかも子どもたちが反応することのできる社会関係の特徴的要素を選び出す。そして、次第に複雑なものへ進んでいくような順序を立てて、いっそう込み入ったものを洞察するための手段として先に習得した要素を利用するのである。

(続く)

 

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