« 教育者・島木赤彦(1) | トップページ | 教育者・島木赤彦(3) »

2023年6月13日 (火)

教育者・島木赤彦(2)

島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)、23−24頁。

「古歌集と自己の個性」『歌道小見』より

私が、万葉集及びその系統を引いている諸歌集に親しむことが大切であると言うのに対して、世間往々反対の説をなすものがあります。歌は素と作者自身の感情を三十一音の韻律として現すべきものである。それであるのに、千年以上も昔の歌集を読んで歌の道を修めよというのは、生き生きした現代人の心を殺して、千年前の人心に屈服せしめようとするものであって、少くも現代人の個性は現れるはずがないというのであります。この説一通り後尤もでありますが、人間の根本所に徹して考えた詞でありません。歌には歌の大道がある。その大道の由って来る所に礼拝するのは、自分の今踏まんとする大道を礼拝することであり、自分の踏まんとする大道を礼拝することは、自分の個性を尊重する所以になるのであります。仏教の真の行者は、皆、己れを空しくして釈尊の前に礼拝します。己れを空しくし、いよいよ空しくして、一向専念仏に仕うる行者にして、初めて、真の個性を発現させることが出来ます。法然、親鸞、道元、日蓮の徒皆この類でありましょう。この消息に徹せずして、今人説く所の個性は、多く目前の小我でありまして、有るも無きももよく、無ければなおさらよいほどの個性であります。

 

島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』(岩波書店)

« 教育者・島木赤彦(1) | トップページ | 教育者・島木赤彦(3) »