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2021年5月30日 (日)

抜書き:デューイ『民主主義と教育』〜第2章3(2)

J.デューイ著、松野安男訳『民主主義と教育(上)』岩波書店、1975年。

 

第2章 社会の機能としての教育

3、教育的なものとしての社会的環境

(続き)

(37-38頁)

この「環境からの無意識的な影響」は、性格や精神のあらゆる組織に作用するほど精妙で滲透力のあるものであるが、その効果が最も顕著に現われる方面を二、三指摘するのは意義のあることであろう。第一に、言語の習慣である。言葉の基本的様式や、語彙の大部分は、きちんと決まった教授の方法としてではなく、社会的に必要なこととして営まれる日常の生活の交わりの中で形成されるのである。われわれはうまい言い方をするものだが、赤ん坊は、語mother tongueを獲得する。このようにして身についた言葉の習慣は、意識的な教授によって矯正されたり、また排除されることさえあるけれども、それでも興奮したときには、意図的に獲得された言葉の様式はしばしば剝落して、人々は自分たちの本当のお国訛りに逆戻りするのである。第二は、行儀作法である。周知のように、お手本は訓戒にまさる。よい行儀作法は、いわゆるよい育ちから生ずる。いやむしろ、よい育ちそのものである。そして、育ちは、知識を伝えることによってではなく、平素の刺激に対する反応としての、平素の行動によって獲得される。意識的な矯正や教授が際限なく行なわれているにもかかわらず、結局は、周囲の雰囲気や気風が行儀作法を形成する主要な力なのである。そして、行儀作法は小さな道徳にすぎない。しかも、大きな道徳においていも、意識的な教授は、子どもの社会的環境を構成する人々の一般的な「平素の言行」と調和する程度においてだけその有効性を期待しうるにすぎないのである。第三に、よい趣味と美的鑑賞眼である。優美な形態や色彩をもつ調和のとれた対象につねに接していれば、趣味の基準は自然に向上する。貧弱で無味乾燥な環境は美への欲求を餓死させてしまうが、それと全く同様に、安ぴかで乱雑でけばけばしい環境の影響は趣味を脱落させる。そのような大敵に対して、意識的な教授がなしうることは、せいぜいのところ、他人が考えていることについての受け売りの知識を伝えることくらいのものである。そのような趣味は、自発的な、しかもその当人自身に深く染み込んだものとは決してならないのであって、尊敬するように教えられてきた偉い人々がどんなことを考えているかを思い出させる不自然な記憶にとどまるのである。そして、さらに深い価値判断の基準も人が平素入り込む情況によって作られるのであるが、このことは、改めて第四点をあげることにはならないのであって、むしろすでに述べた諸点を混ぜ合わせたものを指摘するだけのことである。何に価値があり、何に価値がないかについて意識的な評価が、どれほど多く、全く意識されていない基準によっているかに、われわれは滅多に気がつかない。だが、一般に、われわれが、調査したり熟慮しないで、無論のことと思っている事柄こそ、われわれの意識的な思考を限定し、結論を決定するものなのだ、と言えるのである。しかも、熟慮の水準の下にあるこれらの習性こそが、他の人々との絶え間ない関係のやりとりの中で形成されてきたものにほかならないのである。

2015年4月22日 (水)

「単位展」@21_21 DESIGN SIGHT。

六本木・東京ミッドタウン・ガーデン内にある21_21 DESIGN SIGHTの企画展「単位展」に行く。

「空気、水、モノ、光、おと、自然環境ーそのままでは捉えにくい世界に一定の基準を設けることによって比較や共有を可能した知恵と思考の道具ーそが「単位」です。………本展は、多種多様なモノやコトの中にどのような単位があるのかを知り、実感することによって、モノがつくられたプロセスやデザインに対する考え方、さらには単位が生み出された文化や社会的背景を見つめるきっかけとなるでしょう。」

ちょうど今、標準化の思想・哲学を追っかけている最中…
ことさら興味ふか〜く見られた。

おもしろい世界が、いっぱいある。
というか、世界はおもしろい。
自分も世界を生み出さなきゃね。

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2015年4月21日 (火)

「大ニセモノ博覧会ー贋造と模倣の文化史」@国立歴史民俗博物館。

千葉・佐倉にある国立歴史民俗博物館へ行く。

お目当ては、「大ニセモノ博覧会ー贋造と模倣の文化史」。
「ホンモノ」対「ニセモノ」と、二項対立ではない展示。

面白かった〜(^^)v

江戸時代の絵師の作品に対するコメントが、すごく印象に残った。

その絵師は、ある時期濫作しすぎて、本人が書いた「ホンモノ」も「ニセモノ」と鑑定されかねない…

みたいなコメント。

って、おいおい〜(^◇^;)

笑っちゃう。

人間のすることって、奥深いよね…。

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2015年4月 7日 (火)

いざない。

カフェのはしごの途中、カトリック幟町教会。

聖堂への道に桜の花びらの絨毯が敷かれていた。

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2014年1月 6日 (月)

今日のお昼は。

今日のお昼は。 今日のお昼は、

 

お弁当こさえて、

 

竹田津行きのフェリーのなかで、

 

周防灘を眺めながら、

 

いただきます(^人^)

2013年11月11日 (月)

台湾旅行。

一ヶ月前の話。

初めての台湾旅行。
台北でなくて、台南に行く。

台南は、日本で言うと京都。
台湾の古都。
台湾の歴史(漢民族の…)は,台南からスタート。

台湾で一番古い孔子廟や,
國姓爺と呼ばれる台湾の礎を築いた鄭成功ゆかりの史跡などなど,
台南の旧跡を巡る。

知らなくて恥ずかしかったのだけれど,
近松門左衛門作の国性爺合戦は,なんとこの鄭成功の話。

台湾グルメも、名物の夜市で…。
臭豆腐のお鍋「臭臭鍋」は…食べれませんでした….(^^;)。

台湾海峡に落ちる夕日もなんともよかった…。
海の向こうは中国だ。

次行くことがあれば、台北に児玉源太郎の銅像、見に行きたーい!

「臭臭鍋」もチャレンジするぞ〜!

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2013年9月16日 (月)

トヨタテクノミュージアム。

先週末、愛知に出張したついでに、トヨタテクノミュージアムに行く。

繊維機械館をメインに見学。

めっちゃ面白い!
「モノづくり」の熱いスピリットがびりびり伝わる〜(^O^)/

特に、1873年に信濃の技術者、臥雲辰致が発明した「ガラ紡機」(日本独自の技術でつられた精紡機)は圧巻〜(@゜▽゜@)

三鷹の森ジブリ美術館以来の感動!

http://www.tcmit.org/

トヨタテクノミュージアム。

2013年6月 9日 (日)

お疲れさま。

お疲れさま。
日本教育経営学会終了。
発表の日の朝7時にコピー終了、へろへろのまま発表〜。
とにかく、無事発表終わり。
質疑応答、懇親会で、いろいろ話して、あ〜いちばん面白いところを出しそびれてるなぁ…と気づく( ̄ロ ̄;)
次回に期待!
などなど、新幹線で一杯やりなから、振り返り〜ヾ(=^▽^=)ノ

2013年3月 5日 (火)

清沢満之記念館。

先週末は、愛知県碧南市の清沢満之記念館へ。
清沢満之は、明治の宗教哲学者で真宗大谷派の僧侶です。
清沢満之という人がいたことは知ってはいましたが、著作を読んだこともありませんでした。
たまたま愛知の支援先の学校で、そこの校歌をつくった人が清沢満之に縁のある方だという話を聞いて、はじめて清沢満之が愛知の人だと知ったほど。

記念館のある碧南・西方寺は結構大きなお寺で、聞けば明治5年学制がしかれる以前には、新民序という学校(藩士の子弟が通う藩校とは異なり平民の子弟も入学できた)の校舎となっており、200名が学んでいたとか…。

記念館では、清沢満之が過ごした書院や終焉の地となった部屋も見学。
結核を患っていた満之終焉の地は、書院の奥の畳二畳分の狭い部屋(享年40歳とは、これまた知らなかった…)。
執筆をしていた二階の部屋には、満之の使っていた机がありました。
机の前に座ってみると、ずいぶんと低い…。
身長150cmと小柄だった満之が、結核を抱えながら、碧南の海が見えたこの部屋で、この机にむかって信仰を深め世に問う思想を執筆していたのだ思うと、なんとも言えず、その熱意熱気が時を超えて伝わるようでした。

記念館には、満之の書いた条幅の写しが掲げてあったけれど、その書は、結核患者とおもえないほど、伸びやかで力強く、とても印象的でした…。

http://www.manshi.com/
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2013年2月27日 (水)

幕末維新ミュージアム。

幕末維新ミュージアム。
昨日、京都市学校歴史博物館を見たあと、東山の幕末維新ミュージアム霊山歴史館へ。
学校歴史博物館を見たあとでは、幕末維新ミュージアムも少し違った角度で見ることができました。

隣接の霊山護国神社の山肌には、坂本龍馬・中岡慎太郎のお墓をはじめ、維新の志士たちの招魂社がありました。
散策しながら、背筋ぞくぞく…。

ミュージアムでは、天然理心流(新選組・近藤勇でおなじみの)で使われた極太の木刀やゲベール銃を触ることができました。
自分の知覚を通して幕末に思いを馳せ、またまたぞくぞく…。

いろんな「ぞくぞく」を体験した、濃い京都の一日となりました。

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