島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)、11−12頁。
「古来の歌」『歌道小見』より
短歌は、最も古くから日本に生れた詩の一体であって、それが長い間の流れをなして今日に伝わっているのでありますから、歌の道にあるほどの人は、古来の歌の中で、少くも権威を持っている歌人の歌を知る必要があります。そうでないと、往々、一人よがりの作品に甘ずるような結果を生じます。明治三十年代和歌革新以後にあって、多少素質のいい作品を遺したと思われる人の歌を見ても、この人が、どれほどまで古人の歌の前に礼拝したかということを思うて、その作品に、或る遺憾を感ずる場合があります。
我々は、自分が生れる時授けられた性情の一面を歪めたり、遺却したりして生長しているのが普通であります。現世の環境に歪みがあり、虧欠があるからでありましょう。その遺却さえ歪められたものが、古人の作品に接触うることによって、覚まされたり、補われたりすることが多いのでありまして、さような問題に無関心で歌を作している人は、自分では自分全体を投げ出しているつもりでも、それが、なお、一人よがりに終る場合が多いようであります。勿論、古人の作品に接することが、自己を覚醒し補足することの全部であるとは思いませんが、歌の道にあるものが歌の由来する所を温ねて、そこから啓示されるということは、直接で自然な道であろうと思います。歌に入ろうとする人も歌の道に久しくおる人も、この意味で、古人の作品に常に親しむことが結構であると思います。それは、古人の作品を見本にして歌を作すこととは違います。
島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』(岩波書店)