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2023年8月

2023年8月30日 (水)

教育者・島木赤彦(6)

島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)。

「単純化」『歌道小見』より(43頁)

歌われる事象は、歌う主観が全心的に集中されれば、されるほど単一化されてまいります。写生が事象の核心を捉えようとするのも、同じく単一化を目ざすことになるのでありまして、単一化は要するに全心の一点に集中する状態であります。この消息の分からぬ人々が、短歌に、複雑な事象や、もしくは哲理や思想など駢列して得意としております。そういう人々は、短歌を事件的に外面的に取扱っているのでありまして、短歌究極の願いが、一点の単純所に澄み入るにあることを知らないのであります。

 

島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』(岩波書店)

教育者・島木赤彦(5)

島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)。

「歌の調子」『歌道小見』より(32−33頁)

短歌における表現は、単に歌の言語の持つ意味の上に現れて、それで足りているとすることはできません。その表現しようとする感動の調子が、歌の各言語の響きや、それらの響を聯(つら)ねた全体の節奏の上に現れて、初めて歌の生命を持ち得るのであります。歌の言語の響き・節奏これを歌の調べ・調子もしくは声調・格調などと言います。

我々の感動は、伸び伸びと働く場合、ゆるゆると働く場合、切迫して働く場合、沈潜して働く場合というように、個々の感動に皆特殊の調子があります。その調子が、宛らに歌の言語の響きや全体の節奏に現れて、初めて表現の要求が充(みた)されるのであります。この調子の現れは、意味の現れと相軒輊(あいけんち)するところないほど、短歌表現上の重要な要求になるのでありまして、古来より秀作は、皆、歌の調子が作者感動の調子と快適に合っているため、永久の生命を持つほどの力となっているのであります。

 

島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』(岩波書店)

2023年8月29日 (火)

教育者・島木赤彦(4)

島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)、27-28頁。

「写生」『歌道小見』より

私どもの心は、具体的事象との接触によって感動を起こします。感動の対象となって心に触れ来る事象は、その相触るる状態が、事象の姿であると共に、感動の姿でもあるのであります。さような接触の状態を、そのままに歌にあらわすことは、同時に感動の状態をそのままに歌に現すことにもなるのでありまして、この表現の道を写生と呼んでおります。私の前に直接表現と言うたのも、多くこの写生道と相伴います。感動の直接表現といえば、嬉しいとか、悲しいとか、寂しいとか、懐かしいとか、いわゆる主観的言語を以て現すことであると思う人が多いのでありますが、実際は多くはそうでないのであります。一体、悲しいとか、嬉しいとかいう種類の詞は、各人個々の感情生活から抽出された詞でありまして、いわゆる感情の概念であります。概念は一般に通じて特殊なる個々に当て嵌まりません。我々の現したいものは、個々特殊なる感情生活ではありますから、概念的言語を以て緊密に表現することはむずかしいのであります。かなしいと言えば甲にも乙にも通じます。しかし、決して甲の特殊な悲しみをも、乙の特殊な悲しみをも現しません。歌に写生の必要なのは、ここから生じてきます。つまり、感情活動の直接表現を目ざすからであります。

 

島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』(岩波書店)

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