きざしつはる〜『徒然草』第155段。
『徒然草』第155段より。
春暮てのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋はすなわち寒くなり、十月は小春の天気、草の青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まず落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下にまうけたるゆゑに、待ちとるついで甚だ速し。
『徒然草』第155段より。
春暮てのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋はすなわち寒くなり、十月は小春の天気、草の青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まず落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下にまうけたるゆゑに、待ちとるついで甚だ速し。
「人間は変えることができるか」
上田薫著『人間のための教育』国土社、1975年、96〜102頁より。
部分と全体と
変えようとする側の変革
「上農は土をつくる」 東井義雄
お百姓さんから教えてもらったことばがあります
下農は雑草をつくり
中農は作物をつくり
上農は土をつくる
ということばです
あなたの仕事を省みて「なるほど」と思いませんか
「作文」だけがんばっていても「作文」が育つものではありません
「理解」だけがんばっていても「理解」が育つものではありません
「勉強」「勉強」と「勉強」攻めにしていても「勉強」は育ちません
自転車のタイヤを直接ささえているおんは三センチの道はばであっても
はばが三センチの道を自転車で走ることは不可能です
直接はたらいているように見えないところも
間接に大切なはたらきをしているのです
だからこそ
「上農」は「土」をつくるです
どうか どうか
子どもの生活全体を
豊かな たくましいものに
育ててやってください
「遊び」でしか育て得ないものをも奪ってしまうことを自戒しましょう
「家庭」でしか育て得ないものまでも「学校」が奪ってしまうことを警戒しましょう
教育の「土」をつくる教師を目指しましょう。
学校土壌論〜禅僧・内山興正の言葉。
(Amazon 著者についてより)明治45年、東京に生まれる。早稲田大学西洋哲学科を卒業、さらに2年間同大学院に在籍後、宮崎公教神学校教師となる。昭和16年、澤木興道老師について出家得度。以来坐禅修行一筋に生き、昭和40年、澤木老師遷化の後は、安泰寺堂頭として10年間弟子の育成と坐禅の普及に努める。平成10年3月13日、示寂。
はじめに申し上げたように、私は子供を持っていません。しかしその代わりに大勢の弟子がおります。沢木老師がおられたあいだは、私は修行にのみ打ち込んでいればよかったのですが、老師が亡くなられて安泰寺の跡を継ぎ、弟子たちがふえるに従って、私は頭を切り換えました。もはや修行者ではなく、同時に教育者であらねばならないと覚悟をあらたにしたのです。
そこで、どういう教育方針でのぞむか考えたのですが、弟子を作物にたとえては申しわけないが、私は、安泰寺という畑で、弟子たちという作物をつくる気になった。それまで長年畑作りをやってきたので、こう考えると分かりやすいのです。事実、畑こそは生命をほんとうに育てるところです。畑作りは、生命にボタンを押す、スイッチをひねるといった機械的なことでできるわけがない。
では、安泰寺という畑で、弟子という作物を育てるにあたって、一番大切な太陽に相当するものはなにかといえば、それは坐禅です。
いきなり「坐禅」を持ち出すと皆さんはとまどうかもしれませんが、実は坐禅こそがいまほど申し上げた「スミレにはスミレの花が咲く」ということのもっとも端的な「行」であるからです。つまり坐禅とは、かいつまんでいえば、おのおのの各人の生命が生命すること、生命を純粋に発現すること、あるいは生命が生命を祈る姿といってもいい。
もともと私は弟子たちを教育するにあたって、その根本目標を弟子たちのすべてが筋金入りの坐禅人になることにおいています。筋金入りの坐禅になるには、当然坐禅人に打ち込まなければならない。それというのも坐禅こそが坐禅を行ずる各人に「スミレにはスミレの花が咲く。バラにはバラの花が咲く」という生命力を与えるものだからです。
では安泰寺にとって、太陽についで、大地にあたるものはなにかといえば、それは安泰寺という道場の雰囲気です。
大地は、深くこまやかにたがやされ、空気の流通をよくしておかねばならない。カチカチに固まった土で、一般社会から孤立した閉鎖的なものでは、人間は偏狭になり、狂信的になり、ヒステリックになる。他の社会からの空気が柔らかな土のなかに自由に入りこんでくればこそ、肥料分も醸成され、それを吸収する食欲も消化力もわきおこってくる。
私が及ぼずながら本を書いたり、求められれば講演に出かけたりするのも、多分にそのためを思ってのことです。それでいささかでも安泰寺の存在が世間に知られ、心ある人たちが訪ねてくるようになる。すると訪れてくる人たちが新しい空気を安泰寺に送りこんでくる。そこによって弟子たちは世間の問題を知り、世間の問題に関連して坐禅の意味をさらに深く認識してゆくに違いない。
(略)
だいたい教育というものは「ああしろ」「こうしろ」「これはいけない」と外から規制すべきものではありません。それはさきほどのナスの木にむかって「実がなれ」と命ずるようなもので、そうではなく、なによりも大切なのは自己自身の生命に食欲がおこることです。その食欲がおこるために肝要なものは、環境であり、雰囲気であり、地盤である。いいかえれば空気の通りのいいい、よくたがやされた、かつ程度の高い、安泰寺という大地です。
次に作物が育つために不可欠なものは水です。
水は根を潤おし、柔軟にし、吸収力をよくする。同時に肥料分を溶かして、水という形で根が吸いあげやすいようにする。
では安泰寺という畑における水とは何かといえば、それは托鉢や作務、つまり実際にからだを動かして働く生活です。
幸いにしてわれわれの寺は全く無収入なので、われわれが食べる分は托鉢して集めてこなけれならない。托鉢といえば町を歩いてお金をただもらってくるのだから、さぞ楽だろうと思われるかもしれないが、決してそうではありません。若い者といえばネコもしゃくしもカッコいい姿で町を歩きたがるいまどき、墨染の法衣を着て、網代笠をかぶり、草鞋脚絆といういでたちで町を歩くのだから、まずそれだけでも楽ではない。なかには酔狂は通行人もいて、そんな姿で托鉢しているわれわれを罵ったり、からんだりする。私の弟子たちはそれを乗りこえて、すべての人々からお金をもらい、そのお金で修行生活を営むのですから、生活そのものに実が入ってこざるを得ない。
また作務というのは、畑を作ったり、薪を割って運んだり、寺の建物を修繕したりする日常の仕事です。
安泰寺には文明の利器といえば電灯だけで、ガスもなければ水道もない。近ごろは弟子もふえたし、参禅会や接心にくる人たちも大勢になったので、先日新しい井戸を一つ掘りましたが、これも修行者たちの力だけでやった仕事です。また二階建ての古家を一軒もらったので、解体して本堂の裏に物置として建てなおしましたが、これも皆が協力してやった仕事です。坐禅修行も、こうした実際のからだを動かす仕事を通じてはじめて身につくものなのです。
(略)
最後に、作物にとって大切なものは肥料ですが、安泰寺の場合は、これは当然私が弟子たちに仏法の話をすることでなければなりません。その肥料はなるべく濃いものをたっぷり与えたいのが人情ですが、これはよくない。畑作りでも濃い肥料を沢山やると根が焼けて、一番大切な吸収力がなくなる。肥料というものは生命の吸収力に応ずるために、薄く、適当な量でなければならない。その点今日の学校教育の詰め込み主義や、いわゆる教育ママのやりかたは、子供の勉強意欲、吸収力、消化力を失わせるものです。
そこで私は弟子たちにはなるべく口を挿まないよう、仏法の話も、なにより自分自身が求道心を起こすことが大切なので、弟子たちが自ら積極的にやる気を起こすようにというねらいで話すことにしています。
これを要するに、私の弟子たちへの姿勢は「見守り、見張らず」ということに尽きます。一般の学校の先生やお母さん方のやりかたは、どうもこの逆のように見受けられる。子供たちを見守るという心ではなく、まるで子供たちはいつでも悪いことばかりしたがっていると決めこんででもいるように「また悪さをするんじゃないか、いうことを聞かんのじゃないか」と見張っている。「あれをしてはダメ、これをしてはいかん」と口やかましく小言ばかりいう。一番かんじな子供の生命そのものがすくすく伸びるのを見守るという心を忘れているように見えるのでえすが、どうですか。
これではいけないのです。
最初にきびしいことを申し上げましたが、今日の親たちがわが子を生命として見ていないというのはそこです。その心には、祈りがない。生命を拝み、生命を祈るという気持ちが全く欠けている。無生命の社会の部品として、わが子をはめこむことばかり考えているといわざるを得ない。
いわずにおられないと申し上げたのは、ここです。
もう一度申し上げます。子供は、この世に送りだされた、新しい生命です。どこまでもこの生命を、拝み、祈るという心に目ざめていただきたいと思います。
「日記をつける注意」
『斎藤喜博全集1』国土社、1969年(474-475頁)。
私は児童の日記を単に個人別に検閲し指導するだけでなく、常に全体的な指導も続けている。すなわち、全児童の日記をひととおり見た結果、心づいたことを引きぬいてまとめ、これをプリントして全児童に渡し、説明するのである。
このプリント「日記をつける注意」は連続していくので、だんだんと指導されてた、また指導した経過がわかっておもしろい。
つぎに五年女生に与えたプリントの最初のものを記してみる。
日記をつける注意(一)
◯真実の心の姿を書くこと。
ありのままの心、ありのままの感想を正直に書きなさい。
ほんとうの皆さんの心の姿のあらわれている日記が尊いのです。
毎日毎日同じことが書いてある日記は、読んでいて心を打たれる何ものもありません。心を打たれるもののないのは、ほんとうに皆さんの心が書いてないからです。
◯その日その日の反省すべき問題、また最も心に感じた問題を選び出して日記につけなさい。それが反省となり感想となるのです。
◯そしてくだらないことを長々しく書かないようにしなさい。
最も強く心に浮かんでいるもの、それだけをできるだけ細かく自分の心に聞いて書きなさい。
それが日記としてもまた綴り方としてもよいのです。
◯できるだけ漢字を使うように努力しなさい。努力して使っているうちに漢字はおぼえられるものです。
◯ただ「きょうは勉強がよくできてうれしい」「きょうはできるなくてなさけない」などと書く人はだめです。
こんな人こそほんとうになさけないと思います。よくできたらどうしてよくできたのか、できないのはどうしてか、それらについて細かい深い反省ができるはずです。またそのほかいろいろの細かい感じも心には起こっているはずです。それらを正直に書くのです。それがあなた方の真実の姿なのです。
◯先生のところへ出すのを楽しみにしている人がいいますが、たいへんよい心がけだと思います。先生もそういう人のをいっそう楽しみにして見ています。(七月十七日までの日記を見て)
島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)。
「単純化」『歌道小見』より(43頁)
歌われる事象は、歌う主観が全心的に集中されれば、されるほど単一化されてまいります。写生が事象の核心を捉えようとするのも、同じく単一化を目ざすことになるのでありまして、単一化は要するに全心の一点に集中する状態であります。この消息の分からぬ人々が、短歌に、複雑な事象や、もしくは哲理や思想など駢列して得意としております。そういう人々は、短歌を事件的に外面的に取扱っているのでありまして、短歌究極の願いが、一点の単純所に澄み入るにあることを知らないのであります。
島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)。
「歌の調子」『歌道小見』より(32−33頁)
短歌における表現は、単に歌の言語の持つ意味の上に現れて、それで足りているとすることはできません。その表現しようとする感動の調子が、歌の各言語の響きや、それらの響を聯(つら)ねた全体の節奏の上に現れて、初めて歌の生命を持ち得るのであります。歌の言語の響き・節奏これを歌の調べ・調子もしくは声調・格調などと言います。
我々の感動は、伸び伸びと働く場合、ゆるゆると働く場合、切迫して働く場合、沈潜して働く場合というように、個々の感動に皆特殊の調子があります。その調子が、宛らに歌の言語の響きや全体の節奏に現れて、初めて表現の要求が充(みた)されるのであります。この調子の現れは、意味の現れと相軒輊(あいけんち)するところないほど、短歌表現上の重要な要求になるのでありまして、古来より秀作は、皆、歌の調子が作者感動の調子と快適に合っているため、永久の生命を持つほどの力となっているのであります。
島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)、27-28頁。
「写生」『歌道小見』より
私どもの心は、具体的事象との接触によって感動を起こします。感動の対象となって心に触れ来る事象は、その相触るる状態が、事象の姿であると共に、感動の姿でもあるのであります。さような接触の状態を、そのままに歌にあらわすことは、同時に感動の状態をそのままに歌に現すことにもなるのでありまして、この表現の道を写生と呼んでおります。私の前に直接表現と言うたのも、多くこの写生道と相伴います。感動の直接表現といえば、嬉しいとか、悲しいとか、寂しいとか、懐かしいとか、いわゆる主観的言語を以て現すことであると思う人が多いのでありますが、実際は多くはそうでないのであります。一体、悲しいとか、嬉しいとかいう種類の詞は、各人個々の感情生活から抽出された詞でありまして、いわゆる感情の概念であります。概念は一般に通じて特殊なる個々に当て嵌まりません。我々の現したいものは、個々特殊なる感情生活ではありますから、概念的言語を以て緊密に表現することはむずかしいのであります。かなしいと言えば甲にも乙にも通じます。しかし、決して甲の特殊な悲しみをも、乙の特殊な悲しみをも現しません。歌に写生の必要なのは、ここから生じてきます。つまり、感情活動の直接表現を目ざすからであります。
島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)、26頁。
「歌を作す第一義」『歌道小見』より
自己の歌をなすは、全心の集中から出ねばなりません。これは歌を作すの第一義でありまして、この一義を過って出発したら、終生歌らしい歌を得ることは出来ません。自ら全心の集中と思うものでも、案外、一時的発作に終わるような感動があります。さような感動は、数日を経過し、十数日を経過するに及んで、心境から霧消しております。そういうものは、自己の根底所に根ざした全心の集中とは言われません。そうして見ると、歌を作す機会は、存外多くあるものではありません。心の中に軽く動いて軽く去るような感動は、それをどう現しても、要するに軽易な作品に堕ちてしまいます。
島木赤彦著『歌道小見・随見録-他一篇』岩波書店、1994年(第6刷)、23−24頁。
「古歌集と自己の個性」『歌道小見』より
私が、万葉集及びその系統を引いている諸歌集に親しむことが大切であると言うのに対して、世間往々反対の説をなすものがあります。歌は素と作者自身の感情を三十一音の韻律として現すべきものである。それであるのに、千年以上も昔の歌集を読んで歌の道を修めよというのは、生き生きした現代人の心を殺して、千年前の人心に屈服せしめようとするものであって、少くも現代人の個性は現れるはずがないというのであります。この説一通り後尤もでありますが、人間の根本所に徹して考えた詞でありません。歌には歌の大道がある。その大道の由って来る所に礼拝するのは、自分の今踏まんとする大道を礼拝することであり、自分の踏まんとする大道を礼拝することは、自分の個性を尊重する所以になるのであります。仏教の真の行者は、皆、己れを空しくして釈尊の前に礼拝します。己れを空しくし、いよいよ空しくして、一向専念仏に仕うる行者にして、初めて、真の個性を発現させることが出来ます。法然、親鸞、道元、日蓮の徒皆この類でありましょう。この消息に徹せずして、今人説く所の個性は、多く目前の小我でありまして、有るも無きももよく、無ければなおさらよいほどの個性であります。